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第2話

Penulis: 伊桜らな
last update Terakhir Diperbarui: 2025-09-22 14:24:56

タクシーの車窓から見える街の灯りは、どこか冷たく遠いものに感じられた。兄との通話で温まった心は、帰宅の道を進むごとに少しずつ冷えていく。胸の奥では、「哲也さんにこの知らせを伝えれば、きっと喜んでくれる」という淡い期待があった。でも同時に、どんよりとした不安が重石のように心にのしかかる。

私たちの結婚は、愛から始まったものではない。神宮寺家の恩義と、ビジネスライクな契約の産物。哲也さんの心に別の女性――私の表妹、西園寺沙羅がいることも知っている。だからこそ、妊娠という事実が彼にどんな感情を呼び起こすのか、想像もできなかった。

タクシーが神宮寺家の門前に停まる。巨大な鉄の門扉が、闇の中で冷たく光っていた。運転手に礼を告げ、芝生の庭を抜けて玄関へ。窓から漏れるシャンデリアの明かりが、豪奢なリビングの影を映し出している。だが、その光はどこか虚しく、温もりを欠いていた。

「ただいま……」

小さな声で呟き、ドアを開ける。瞬間、胸の奥に嫌な予感が走った。空気が重い。人の気配が、まるで刃のように鋭い。廊下を進み、リビングに足を踏み入れた瞬間――。

「美咲!」

鋭い声が空気を切り裂いた。ソファに腰かけた夫・哲也さんが、怒りに顔を歪めていた。隣には、鮮やかな赤いドレスを纏った沙羅が、涼しい顔で座っている。彼女の唇には、まるで獲物を嘲るような薄ら笑いが浮かんでいた。

「て、哲也さん……? どうしたの」

かろうじて声を絞り出すと、哲也さんは容赦なく怒鳴った。

「とぼけるな!」

机の上に置かれた一通の手紙を乱暴に掴み、私に向かって投げつけた。紙は宙を舞い、床に散らばる。震える指で拾い上げ、目を通した瞬間、視界が揺れた。

そこに記されていたのは――。

あの日、俺は金を受け取った。事故を装えと命じたのは、橘美咲の母親だった。標的は神宮寺夫妻。俺は言われた通りに車を走らせた。だが計画は失敗し、俺だけが罪を背負った。

「……そんな……」

頭が真っ白になった。この筆跡、この内容――まるで悪夢だ。母がそんなことをするはずがない。優しく、いつも私を第一に考えてくれた母が、なぜ?

「どういうことか説明しろ!」

哲也さんの怒声が胸を突き破る。私は必死に言葉を紡いだ。

「違う……違います! 母はそんな人じゃなかった。こんな残酷な計画なんて、絶対にありえない!」

「言い訳は聞き飽きた!」

テーブルを叩く音が轟き、心臓が跳ねた。母を信じたい。だが、今ここでそれを証明する術はない。母はもう、この世にいないのだ。

沈黙を切り裂いたのは、沙羅の甘く冷たい声だった。

「哲也様。彼女に弁解の余地なんてありませんわ。思い出してください。あの夜、酔わされ、薬を盛られたのは彼女の仕業でしょう? 愛のない結婚を維持するために、必死であなたを縛りつけようとした。すべて、金目当てですわ」

「やめて!」

声を荒げたが、震えていた。あの夜のことは、私も覚えている。だが、それは私の仕業ではない。真実を知っているのは私だけなのに、誰も信じてくれない。

哲也さんの瞳が、怒りと疑念に濁り、私を突き刺す。

「美咲。お前を信じたい気持ちが、まだ少しはある。だが……もし潔白だというなら、証拠を出せ。できなければ――離婚だ」

冷酷な宣告。足元の床が崩れ落ちるような感覚に襲われ、言葉を失った。証拠なんて、どこにあるというのか。母の無実をどうやって示せばいいのか。

ただ一つ確かなのは――私の命よりも大切なものが、今、失われようとしているということだった。

***

リビングの扉が閉まった瞬間、胸の奥が押し潰されるように痛んだ。哲也さんの言葉、沙羅の薄ら笑い、散らばった手紙の文字。それらが壁や床に染みついた毒のように、私を締めつける。

自室に戻り、ベッドに腰を下ろす。指先が小刻みに震え、呼吸が浅くなる。視界が滲み、涙がこぼれそうになるが、堪えた。泣いている暇はない。

お腹に手を当てる。そこには確かに、小さな命が宿っている。まだ見えない、感じられない、けれど確かに存在する命。この子が、私に立ち上がる理由を与えてくれた。

「……あなたがいるのに、私、負けるわけにはいかない」

涙をこぼしながら、かすかに笑みを浮かべて呟く。弱さの奥に、ほんの少しの強さが芽生えた気がした。だが、不安はすぐに押し寄せる。もし離婚となれば、この子はどうなる? 神宮寺家から切り捨てられ、世間から蔑まれるのではないか。それ以上に、哲也さんがこの子の存在を知ったら――喜ぶだろうか? それとも、あの冷たい瞳で私を拒絶するのだろうか。

答えは出ない。ただ、頭に残るのは哲也さんの怒りに満ちた顔と、沙羅の嘲笑。あの二人に真実を叫んでも、誰も信じてくれない。

――ならば。

「私が……証拠を探す」

小さく、だが決意を込めて呟いた。母の無実を示すもの。あの夜、私を陥れた本当の黒幕を暴くもの。お腹の命を守るため、失われかけた絆を取り戻すため。

部屋の片隅、母の遺影が置かれた小さな棚に視線を向ける。そこに微笑む母の顔は、いつ見ても変わらず優しかった。あの人が、誰かを傷つけるような計画を立てるはずがない。

「お母さん……信じてるから」

枕に顔を埋め、堪えていた涙が溢れた。それでも、心の奥底では小さな灯火が消えずに残っていた。私は負けない。この子と一緒に、生き抜いてみせる。

窓の外、夜の帳が降り、街が静まり返っていく。私の胸の中では、嵐のような決意と不安が渦を巻いていた。そして知らぬ間に、長い夜が明けていくのだった。

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